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黒島のお話3

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震災直後から不思議なことに水がこんこんと湧き、集落の皆さんはかなり助けられたそう。

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6月に訪れたときは、もう水はポチョン、ポチョンと雫が落ちるくらいの湧水量になっていた。

マスガタさんも交えて、晩御飯。

杯も一緒に傾けると、ここでしか聞くことのできない、色んなお話がこぼれてくる。

杉野さんが、震災後に真っ先にマスガタさんが水の確保に動いたことを教えてくれた。

マスガタさん宅の横に湧いている清水(杉野さんは名水・升潟と呼んでいた。笑)を、

すぐさま大きなタンクに貯めはじめたのだという。

これは2007年の能登半島地震の教訓が生きたとのこと。

「あの時も、一番困ったのは”水”だったもんね」

この名水・升潟は水源不明。

 

不思議にも、集落の皆が水に困っている時はこんこんと湧いてタンクを一杯にし、

給水の状況が整った後は、ぽとりぽとりと、したたるくらいの水量となったそう。

そして、マスガタさんは震災直後から消防車に寝泊まりして、休むことなく集落の為に動いたそうだ。

その頑張りは、周囲の皆が心配する程だった。

「なんでそんなに他人の為に自分を後回しでがんばれるの?」

心配した集落の人に訊かれた時に、マスガタさんはかつて自分が聞いた一つの話を思い出したのだった。

【ぬるく冷たいお風呂の中で、温かいお湯を自分の方へ自分の方へと搔き集めようとすると、温かいお湯は自分の方へ来ない。

温かいお湯を、自分はいいから、相手の方へ相手の方へと贈ってやると、回り巡って、自分があたたかくなる】

この話を聞いたときは、軽く聞き流していた。

けれど震災の後、自分がなんで他人の為にこんなにがんばれるのかと訊かれた時に、わかった。

『あぁ。 自分は今、”あたたかい”んだなぁ って』

だから、力が湧いてきた。

 

寝なくてもへっちゃらだった。

話を聞いて、僕は感銘を受けて、茫然としていた。

 

決して、お酒の酔いのせいじゃない。

そんな僕にマスガタさんは、

​「信じてないでしょ~。こんど、お風呂で追炊きして、ほんとにやってみてよ~」といって、笑っている。笑

ここ黒島集落は日本海を往来して莫大な財をもたらした北前船の船主や船乗りの居住地として栄え、

江戸幕府の直轄領”天領“としての歴史を持つ土地だ。

だから、その誇りやプライドが、住人たちの根に、刻み込まれているのではないかといった話も聞いた。

その誇りゆえに、今回の震災のような有事に、「助けて」といち早く声を上げることができないといった弊害もあったのでは?とのこと。

その一方で、その芯の強さが、守り抜いたものもある。

高齢者率が非常に高いこの集落。

避難所の運営にあたって、何よりも警戒しなければいけないのが【感染症】だった。

事実、その感染症によって避難所機能が崩壊してしまった土地もたくさんあったらしい。

けれど、この黒島集落は、避難所の開設以降、ただの一度も、感染症の発生を許さなかった。

・・避難所を訪れるボランティアや救援の人たちすらも、玄関から一歩も、中に入れなかったからだ。

これは非常に覚悟の要ることだった。

善意で訪れてくれる人を、玄関先でシャットアウトすることは、こんなに心苦しいことはない。

非難の声だって大きかったことだろう。そこまでする必要があるのかと、賛否両論があったことだろう。

正解のわからない中で、確実に反対意見がある中で、

『自分が責任を持つ! 非難を受ける! だから、この方針で行く!』

そう断行した運営者がいた。

どれだけの勇気だっただろう!!

今の日本に、(いや、僕にか?)、欠けているのは、こういった気概のようなものじゃないだろうか?

誰も、責任を取りたがらない。

誰からも、非難をされたくない。

臆病で、何も決められない。誰も、決められない。

ここ黒島では、決めたのだ。

そしてその結果、避難所を守った。

この背景に、”天領”黒島の誇りを、血と土地に刻まれたプライドを透かし見て、目頭が熱くなるのは、僕だけだろうか?

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現地の方、他のボランティア団体の方と一緒に食べる夕飯。色んなお話が聞けて貴重な時間でした。

マスガタさんと一服しているところを撮影できました!(笑)

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